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〒110-0005 東京都台東区上野2-13-13

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黒船亭の歴史

黒船亭の歴史

春になると木々が新芽をつけはじめるように、春を感じる色の花が咲き始めます。
本物の自然は私達にいろいろなことを教えてくれます。
「ビルの中でも可能な限り自然を楽しみ、
街の景色を見ながらゆったりお食事をしていただきたい。」
そんな思いを花に託しています。

私たちのはじまり

私たちのはじまり

明治三十五年、初代須賀惣吉が栃木より上京、上野公園下にて料亭「鳥鍋」をはじめました。
建物は、お風呂があり、滝が流れ、池があるというたいへん風情のある造りでした。
当時は現代のような炊飯ジャーもなく、早朝より大釜で米を炊き、それが売り切れると閉店するというたいへん繁盛した店でした。
また、松茸入りの親子丼をつくり 多くの話題も提供しました。
大正十二年の関東大震災で焼けましたが、栃木より大工が駆けつけ、すぐに建て直して再開。
しかし、昭和二十年の東京大空襲により焼失しました。

私たちのはじまり
大正六年、現在の黒船亭の場所で初代惣吉と二代目利雄が「カフェ菊屋」を始めました。

大正六年、現在の黒船亭の場所で
初代惣吉と二代目利雄が「カフェ菊屋」を始めました。

当時としては珍しい輸入のお酒とオードブル、ハヤシライスなどを揃えました。
一流のコックの料理が、エプロン姿の女性にサービスされるという、大変おしゃれな大正モダンの店でした。

大正六年、現在の黒船亭の場所で初代惣吉と二代目利雄が「カフェ菊屋」を始めました。
大正七年、中華料理店「翠松園」を開店しました。

大正七年、中華料理店「翠松園」を開店しました。

昭和二十年の大空襲で焼けた後、喫茶店「ニッサン・ソーダファウンテン」をオープンします。
その後、昭和二十六年には、戦後最大の娯楽であった映画の封切館「上野パーク劇場」をつくりました。

昭和十二年、池之端に本格的中華料理店(当時は支那料理と呼ばれていました)「雨月荘」を開店します。

昭和十二年、池之端に本格的中華料理店(当時は支那料理と呼ばれていました)
「雨月荘」を開店します。

まだ日本には本格的中華料理の店が少なく、中国まで料理長を探しに行きました。
当時の中国では、本当においしい料理をつくるコックは個人の大家で働いているコックです。
やっと探した一流の料理長を連れて帰り、本格的な味を追求したのです。
建物は、総ヒノキ造り三階建て。
優美な日本庭園があり、和服の女性がサービスするお店で、当時日本の三大中華料理店の一つといわれました。
また、和風建築の中に、オーチスのエレベーターがあるという.モダンなスタイルでもあり、
店に敷かれた緞通(だんつう)は、中国から取り寄せたもの、天井や襖に使用した織物も龍村平蔵氏作の正倉院御物を模した織物でした。
お迎えしたお客様には皇族や、財界・政界の方々も多く、
戦争中の昭和十九年、三島由紀夫氏の出版記念会を雨月荘の一室で開催したことは、後に有名なできごととなりました。
昭和二十年三月十日、東京大空襲で残念ながら、粋をこらした建物も全焼したのです。

昭和十二年、池之端に本格的中華料理店(当時は支那料理と呼ばれていました)「雨月荘」を開店します。
戦後、現在地で、二代目利雄が化粧品・雑貨の店を開店しました。

戦後、現在地で、二代目利雄が化粧品・雑貨の店を開店しました。

昭和四十四年十月、現在のビルを建設、一階に紳士用品、二階に婦人服の店「アダムスキクヤ」を.オープンしました。
当時のアパレル業界では、インポートされた洋服のクオリティーの高さとセンスの良さで、
後に銀座和光とならび称されるほど有名な店となりました。
さらに四階には黒船亭の前身となるステーキハウスとフランス料理の店「レストランキクヤ」.を開店しました。

昭和六十一年十月、三代目光一が四階の「レストランキクヤ」を「洋食 黒船亭」としてリニューアルオープンしました。

昭和六十一年十月、三代目光一が四階の「レストランキクヤ」を
「洋食 黒船亭」としてリニューアルオープンしました。

フランス料理のスタッフを引き継ぎ、料理の質や味へのこだわりをそのまま残し、技術の維持・向上に現在も努めています。

昭和十二年、池之端に本格的中華料理店(当時は支那料理と呼ばれていました)「雨月荘」を開店します。

店舗概要

店舗名 黒船亭 KUROFUNE-TEI
代表 須賀 光一
所在地 〒110-0005
東京都台東区上野2-13-13
電話番号 03-3837-1617
営業時間 11:30~22:45
(ラストオーダー 22:00)
定休日 年中無休

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